室町幕府滅亡約1年前の織田信長書状を発見 細川藤孝にすがる信長「あなただけが頼りです」
(ポイント)
- 公益財団法人永青文庫(東京都文京区:以下「永青文庫」)には、細川藤孝(1534―1610)を初代とする大名肥後細川家に伝来した数多くの重宝が保管されています。なかでも、織田信長(1534―1582)の発給文書59通はとくに貴重なもので、すべてが国の重要文化財に指定されています。ひとところに伝来する数としては比類がなく、内容も重要なものが多いため、これまで多くの研究者に注目されてきました。
- ?2022年、永青文庫と熊本大学永青文庫研究センターとの共同調査によって、永青文庫の収蔵庫から、60通目の信長発給文書が発見されました。慎重に検討を重ねたところ、信長が、いわゆる「室町幕府の滅亡」(将軍足利義昭(1537―1597)の京都没落)の前年にあたる元亀3年(1572)の8月15日に、藤孝に出した未知の書状であることがわかりました。
- 本書状には、元亀4年(1573)7月における義昭の京都没落の背景に関わる貴重な情報が含まれています。信長が足利義昭とともに構築した幕府体制がわずか5年後に崩壊した主な要因が、義昭側近衆と信長との対立にあったこと。側近衆の中にあって細川藤孝ただ一人が信長と通じ、義昭挙兵の半年も前から畿内の領主層を信長方に組織する活動を続けていたこと、などです。幕府政治が混迷を極める中、まさに藤孝は、信長の京都における頼みの綱でした。
- 義昭の側近中の側近として義昭と信長を結び付けた細川藤孝が、「室町幕府の滅亡」を実現させるキーマンともなったのです。新発見の信長書状によって、信長の権力のあり方を大きく左右した藤孝の存在がクローズアップされます。
【今後の展開】
信長が、「あなたの働きこそが重要なのです」と書き送っていたように、幕府政治が混迷の一途を辿った元亀年間(1570―1573)、信長の京都における頼みの綱は細川藤孝でした。信長と同じ1534年に幕府家臣の名門三淵家に生まれた藤孝は、13代将軍足利義輝の奉公衆として台頭し、義輝が暗殺されると、その弟の義昭の側近中の側近となり、義昭と信長を結び付けて正統幕府を再興するという大仕事をやってのけます。その藤孝が「室町幕府の滅亡」を実現させるキーマンともなったのです。信長と幕府権力のあり方を大きく左右した細川藤孝の畿内領主層との人脈、当該時期における彼の具体的活動や政治思想を究明することが、「本能寺の変」を含む織田政権期の政治史研究にとっての大きなテーマとなります。
なお、本書状の原本は、東京都文京区目白台の永青文庫で2024年10月5日~12月1日に開催される秋季展「熊本大学永青文庫研究センター設立15周年記念「信長の手紙」」に出品されます。また、同展覧会に合わせて刊行予定の『永青文庫 織田信長文書の世界―珠玉の60通―』(勉誠社)に収録されます。
【詳細】プレスリリース(PDF921KB)
????
お問い合わせ熊本大学永青文庫研究センター
担当:(センター長、教授)稲葉 継陽
電話:096-342-2304
E-mail:inaba※kumamoto-u.ac.jp
(迷惑メール対策のため@を※に置き換えております)