平成27年度熊本大学入学式 式辞

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入学生諸君おめでとうございます。本日ここに御来賓の方々及び理事、各部局長、教職員のみなさんと一緒に熊本大学第67回入学式を挙行し、学部学生や大学院学生など総勢2,704名の溌剌とした諸君をお迎えできたことは、熊本大学にとって大きな慶びであります。私ども大学構成員一同、諸君を心から歓迎するとともに、若さ溢れるエネルギーによって大学に新しい風を吹き込んで頂くことを大いに期待します。
諸君が今日という晴れやかな日を迎えられたのは、自らの努力によることは言うまでもありませんが、今日に至るまで諸君を支え励ましてくれたご家族や、恩師、先輩、友人の方々のお蔭でもあり、これらの方々に対しても皆さんと一緒に感謝申し上げたいと思います。
諸君がこれから学ぼうとする熊本大学は長い歴史と素晴らしい伝統を持った大学です。文学部、法学部及び理学部は、旧制第五高等学校、教育学部は師範学校、工学部、薬学部はそれぞれ専門学校、医学部は医科大学を母体として、昭和24年(1949年)に新しい制度の下に総合大学として発足しました。現在まで12万人以上の卒業生を送り出しています。母体の一つである第五高等学校は現在の黒髪キャンパスにあり、その創成期には講道館柔道の創始者でもある嘉納治五郎が校長を務め、文学者でもあるラフカデイオ?ハーンや夏目漱石なども英語の教師として教鞭をとりました。来年は漱石来熊120年没後100年に当たります。こうした優れた方々の残したものが現在黒髪キャンパスにある五高記念館に保存されておりますので、機会を作ってご覧になり、熊本大学の歴史の一端に触れていただきたいと思います。

現在の日本は、少子高齢化による人口減少、膨大な財政赤字、社会保障制度の破綻の可能性など深刻な国家的課題を抱え込んでいます。これらの問題を前に、大学は自己改革とともに幾つかの課題を突き付けられていると思います。“今後の日本社会がどうあるべきか”を提言した日本アカデメイア「長期ビジョン研究会」からの報告があります。この中から今後の大学の将来に重要だと思われる項目を挙げてみたいと思います。それは、1.大学は理系、文系などの二分法から脱却し、意欲ある全ての大学生が外国に留学するようにする、2.生涯にわたって複数の学位取得が可能な社会人向け大学?大学院教育を充実させる、3.国際競争に打ち勝つ産官学の体制を整備し、誰でもイノベーション(革新的発見)を起こすユビキタス?イノベーション風土へ誘導する、4.課題先進国として医療?福祉?介護問題を解決したモデル国となるよう先導する、5.基礎科学分野の人材育成を強化し、産官学で科学技術力を結集して日本の生産力を高める、などであります。
幸いにして、平成25年度から26年度にかけ、熊本大学は「研究大学強化促進事業」「地(知)の拠点整備事業」「スーパーグローバル大学創生支援事業」の三つの事業に採択されました。これらの事業は、それぞれ、熊本大学が研究拠点大学として、地域に貢献する大学として、また国際化した大学として、どう大学を変えて行くかということであり、どのような人材を育成していくかが問われています。熊本大学は、多くの文化に理解を示し、国内外の様々な問題に関心を持ち、それらの問題の解決能力と自分の考えを説明する能力を備えた人材を養成することを目指します。

実は私もこの4月から熊本大学第13代学長に就任致しました。その意味で本日は私の学長としての初仕事であり、私にとっても入学式と言ってもいいかと思います。また私はこの熊本大学の出身でもあります。私が熊本大学に入学したのは昭和44年(1969年)の46年前であります。当時は学生運動華やかしき時代で、学園はデモで荒れ、東大では入試そのものが行われませんでした。熊大でも入学式は挙行されず、私は学長の式辞も聞いていません。それどころか、約半年間講義も行われませんでした。政治に無関心でただ医学を学ぶという事で入学した私はこの不都合に何も感じませんでした。
恥ずかしい事に、学長となることが決まった昨年の秋、初めて大学とは何かという事を深く考えるようになりました。大学では研究さえやれば良いのだというこれまで私が受けてきた教育に反して、最近は大学に「社会や地域に役にたつ、職業人育成」が強く求められているからです。「大学とは何か」、これは「人生とは何か」と同じで、そう簡単に答えが見つかりそうにもありません。
その意味で今年の熊本大学二次試験前期日程の国語の問題は、これは村上陽一郎氏の「科学者とは何か」からの引用ですが、深く考えさせられるものでした。大学が医学、神学、法学から始まり、元来職業人養成の意味合いが強いと思っていた私は、問題文の中に「大学が最初から知識の伝統のなかでの職業者を養成する機関として生まれたわけではなく、この段階でも技術の伝統と知識の伝統とは明確に分離されていた」という一節を見出しホッとしたものでした。しかし、近代以降の大学の発展にはベルリン大学のモデルに負うところが大きく、それは研究者と学生が自主的な研究に基づき真理と知識の獲得を目的として、これまでの医学、神学、法学を軸とし、哲学が自然科学も含めた全ての学問の理論的な研究を指導するという体制でした。これにより、大学での「学問の自由」を保証し、大学は大きく発展したのです。このように大学での活動は、古今東西、「学問、つまり教育と研究の自由」のもとに行われてきました。今、我々はその本質に立ち戻りたいと思います。学問は自由です。思い切って自分の好きな或いは興味をもった学問をしていただきたい。ただし、如何なる自由にも、その根底には責任が求められる事を忘れないでいただきたい。学生の責任とは、その一つは勉学をすることであります。

さらに前期試験の国語の問題の第二問も漱石の「三四郎」から出されており、来年が漱石が熊本に赴任して120年であることを考えると実に興味あるものでした。出題文の最後に書かれてあったように、三四郎は熊本の高等学校、つまり第五高等学校を卒業し、東京大学へ進学したのであります。三四郎は熊本から東京へ汽車で向かいます。そして、その汽車の中でフランシス?ベーコンの随筆集を取り出す場面が出て参ります。当時の五高の教育は今の教養教育に当たると思います。明治の昔でも哲学者ベーコンの原書を読むほどの、いわゆる「グローバル教育」が行われていたのです。実際、日本の国際化が最も叫ばれたのは明治初期であります。つまり文明開化です。初代文部大臣森有禮は英語の国語化を提唱し、国粋主義者に暗殺されました。ドイツに留学しドイツ人になりきった軍医である森鴎外、フランスに魂の故郷を見出した永井荷風に比べて、夏目漱石は恐ろしく不器用な人間であったと思います。彼は外遊して擬似西洋人になったような空々しい演技は出来ない人間でした。
漱石が明治44年に発表した「現代日本の開化」(ちくま学芸文庫)の一節を紹介してみたいと思います。

“一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるということに帰着するのである。無論一から十まで何から何までとは言わない。複雑な問題に対してそう過激の言葉は慎まなければ悪いがわれわれの開化の一部分、あるいは大部分はいくらか自惚れてみても上滑りと評するより致し方がない。しかしそれが悪いからお止しなさいというのではない。事実やむをえない、涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならないというのです。”

まったく今のグローバル化騒動にそのまま当てはまる一節であると思います。ここで重要なのは、漱石は西洋の開化(近代化)は「内発的」であり、日本の開化は「外発的」であると主張していることです。これまでの日本は何かにつけ、外からの圧力でないと事が動かない傾向にあり、これは日本あるいは日本人の特性かもしれません。今回のグローバル大学創生支援事業や知(地)の拠点整備事業も、学生や教職員が内部から改革しようという意識が働かないかぎり“涙を呑んで上滑りに滑って”行かざるを得ないと思います。

大学では、多くの場合、自主性を重んじた勉学が求められます。自分が学びたいと思う科目を選択する必要があります。また、問題を設定し、それを解決する方策を学び、考えるという極めて能動的な学習が求められます。このように、単に知識を受けるだけでなく、目的意識を持って能動的に「学問をする」ことが大切です。何事にも興味を持ち、あらゆる事に疑問を抱く、これが「学問をする」原動力となります。

夏目漱石が第五高等学校の開校記念日に代表として述べた祝辞は、現在、黒髪キャンパスの漱石像の横に顕彰されています。
そこには「其れ教育は建国の基礎にして師弟の和熟は育英の大本たり」と書かれています。

さあ、皆さんと一緒に学問をしましょう。そして新しい熊本大学を作って行こうではありませんか。

本日は、熊本大学へのご入学、大変おめでとうございます。

平成27年4月4日
熊本大学長 原田 信志

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